鹿児島マラソン2025
2025年3月2日(日)、鹿児島マラソン2025へ参加してきた。
[結果]
グロスタイム: 2:57:02
ネットタイム: 2:56:54
[公式スプリット/ラップ]
計測地 | スプリット | ラップ |
---|---|---|
5km | 0:21:22 | 21:14 |
10km | 0:42:27 | 21:05 |
15km | 1:03:37 | 21:10 |
20km | 1:24:46 | 21:09 |
中間 | 1:29:23 | - |
25km | 1:45:50 | 21:04 |
30km | 2:06:36 | 20:46 |
35km | 2:27:27 | 20:51 |
40km | 2:48:14 | 20:47 |
Finish | 2:57:02 | 08:48 |
[キロラップ]
※キロラップは手元の時計を参照
1km: 4:21
2km: 4:12
3km: 4:10
4km: 4:14
5km: 4:14
6km: 4:09
7km: 4:13
8km: 4:14
9km: 4:06
10km: 4:14
11km: 4:09
12km: 4:15
13km: 4:03
14km: 4:17
15km: 4:11
16km: 4:10
17km: 4:13
18km: 4:11
19km: 4:16
20km: 4:12
21km: 4:11
22km: 4:13
23km: 4:13
24km: 4:11
25km: 4:14
26km: 4:04
27km: 4:10
28km: 4:07
29km: 4:06
30km: 4:12
31km: 4:08
32km: 4:05
33km: 4:08
34km: 4:10
35km: 4:11
36km: 4:09
37km: 4:07
38km: 4:07
39km: 4:08
40km: 4:14
41km: 4:01
42km: 4:01
[コース]
ウォーターパーク西側スタート。
約5キロ南下し、そこからスタート地点付近(デパートの山形屋)まで北上して約10キロ地点。
そこからは、多少道路車線が分岐しているところもあるが、姶良へ向かう片道16キロ、往復32キロのコース。
常にアップダウンがあるコースで、レース後、ガーミンアプリで合計獲得ゲインを見たら186mあった。
行きは若干の向かい風。ただ海沿いなので、風向きが変わる時もあり、気持ち的には常に弱い向かい風を浴びる感触。
個人的にはアップダウンの連続よりも、路面がざらざらした道路が多く、異様に足裏に疲れが溜まる感じが嫌だった。10キロ以降の海岸沿いはカーブが多く、路面がフラットではなく曲がる方向に若干傾いており地味に走りづらい。
タイムが伸び悩んでいるランナーがパーソナルベストを狙うには不向きなコース。伸び代多いランナーであれば十分パーソナルベストを狙うことはできる。
[レースプラン]
今回のレース最大の目標であり課題は、如何に30キロ以降ペースを上げられるか。1年前のふくい桜マラソンは、サブスリーこそ成し遂げたが、ラスト10キロで失速してしまった。この1年間の成長を見るのであれば、ラスト10キロでペースアップが堅実な目標設定。
30キロまではサブスリーのペースメーカーについていく集団の最後尾を位置取り、4分12~15秒/kmペース。そこからはキロ7、8秒ペースを上げて、2時間57分30秒切りが目標。
[振り返り]
レースまで。
2024-25年シーズンの当初の目標はサブエガ(2時間50分切り)。しかし、練習の手応えからして11月には、目標達成を諦めていた。主な反省点は2つ。
1つ目は、トレーニングメニューを持久系(400mインターバル、1kmインターバル)に変えたこと。それまでのレースペースは比較的楽に走れるようになったが、今まで以上にスピードを上げて走り続ける訓練ができなかった。加えてスピードトレーニングを止めてしまったので、足が日に日に重くなっていく感覚があった。明らかに速く走る筋力が衰えていた。この反省点は大阪マラソンでも振り返っている。もちろん、走行距離を伸ばしたからというのも、足が重く感じる要因にはなっていたと思う。
2つ目の反省点は、夏の練習を頑張り過ぎたこと。士別という合宿の聖地で練習を積んでいたので、必要以上に頑張って練習をしてしまった。特に、練習という位置付けであれ、2週間おきにフルマラソンレースを走ったのは大きな失敗だった。9月上旬に2つ目のフルマラソンを走り、9月中は「士別にいるのもあと少しだから」という理由で練習に励めた。だが、本州に戻り、少し気が緩み、3、4ヶ月間の肉体疲労・精神疲労が一気に現れてしまった。加えて本州の走りづらさといったら、士別の走りやすさと比べると天国と地獄。信号がめちゃくちゃあったり、歩道・道路が狭かったりと、気分転換になるはずのランニングで、ストレスを感じるという逆効果。10月、11月はあまり練習に身が入らなかった。
年が明ける頃には目標も落とし、開き直って練習をすることができた。
レース中。
ふくい桜マラソンの時はペースペーカーに頼らず、39キロまでは自分でペースメークをしていた。だが、そのレースの37キロ以降のしんどさはもう経験したくなかったので、今回は始めからペースメーカーに甘える作戦。号砲後は、ペースメーカーに追い付かれるまで、周りの邪魔にならない範囲でゆっくり走る。大体スタートから700~800m過ぎたあたりでペースメーカーに追い越される。
しかし、ここで問題が発生する。ペースメーカーが速い。BブロックもしくはAブロック後方からスタートしたであろうペースメーカー5人は、明らかにスタートの遅れを最初の1キロから予定通りに合わせに行っている。
「このペースメーカーには、ついていくな。」
直感でそう感じた自分は、結局自分でペースメークをすることに。それでもペースメーカーが視界にいるだけで、精神的には大分楽になった。レース中、先頭のペースメーカーとは最長で300メートルぐらいは離されていたと思う。だが、自分の時計は自分の方が正確なペースメーキングをしていることを語っている。動揺はせず、30キロまではジョグの気持ちで落ち着いて。アップダウンが多いコースなので、一定ペースで走り続けることはできなかったが、リズムと出力は一定に保つことを心掛けた。
30キロでペースアップする予定だったが、折り返したこと、街中に入って声援が盛り上がっていたこと、21キロあたりで摂取したカフェイン入りのMaurtenジェルが効いてきたことが合い重なって、25キロでペースが上がった。
良くも悪くも、サブスリーのペースメーカーが等間隔(大体60秒間隔)に3グループに分かれていたので、1グループずつ拾っていく感じで、徐々に出力を上げていく。30キロ付近で一番後ろのペースメーカーに追いつく。想定よりも早いペースアップだったので、力を温存するため、1、2キロはこのペースメーカーに身を任せようと考える。ただ、あまりリズムがはまらない。北海道マラソン、稚内平和マラソンと、30キロ以降レースアップをする練習は積んでいた。残エネルギーはイエローサインではあったが、足は元気。結局1キロもしない内に、次のペースメーカーを目指す。
次のペースメーカーには33、34キロ付近で追いつく。ラスト5キロのためにエネルギー温存をしようとペースを委ねようとする。しかし、ここでもリズムが一致しない。坂道地獄だった五島合宿の成果か、多少のアップダウンでは自分の走りのリズムは崩れない。気持ちの良いリズムをこころ掛け、前にいるペースメーカーを目指す。
37キロあたりでそのペースメーカーに追いつく。ペースメーカーに並走しているのは自分ともう一人。スタートからこのペースメーカーに合わせていた他ランナーに同情する。追いついたことから、それまでの5キロは確実に自分の方が速く走っていた訳だが、ここでようやくペーサーとリズムが一致する。追いついた安心感、そこまでのペースアップ、上り基調なコースに差し掛かったことなどが要因だろう。
39から40キロの登り坂が最後の難関。往路で覚悟していた。登り坂に差し掛かるところでペーサーが励ましをくれる。ここは3人、暗黙に力を合わせて坂を登り切る。
登った直後からすぐ下り坂になる。待ってましたとばかりに自分はペースを上げる。あとは出し切るだけだ。
ラスト1キロ。線路を跨ぐ道路橋の登り坂でペースメーカーともう一人のランナーが自分を追い越していく。相手が一枚上手だった。そこからは追い越された2人の背中を追いかけ、力を出し切りゴール。
[大会について]
参加者には事前発想で、ゼッケンと一緒に、市内の銭湯200円入浴券が送られていくる。レース前日には温泉ないし湯船に入浴がしたい自分には有り難すぎる参加賞。2泊3日の旅行だったが、3回銭湯へ行った。行った銭湯は1日目温泉錦湯、2日目かごっま温泉、3日目霧島温泉。
かごっま温泉を出た後、銭湯前で靴紐を結んでいると、女湯から出てきたおばちゃんに話しをかけられる。
「兄ちゃん明日走るの?」
「はい、走ります。」
「42キロかい?」
「はい、42キロの方です。」
「そうか、頑張ってね」
レース後、霧島温泉前で子連れの家族とすれ違う。母親が話しをかけてきた。
「マラソン走ったんですか?」
「はい、走ってきました。」
「お疲れ様です~。」
鹿児島の人はどこか開放感がある。レース後、出店ブースにあったマッサージブースで施術を受けた。マッサージ師の女性も施術中、明るく会話をしてきてくれた。鹿児島は人と人の距離が近い。だけど、自然体で恩着せがましさはない。純粋に興味で話してかけてきてくれている感じがする。
山形屋前と折り返し付近の姶良での声援は気持ちよかった。
参加賞は事前発想の入浴券、仙巌園の入場券に加え、会場でTシャツ、500円商品券、メダルの中から2つ選べる。マッサージ師の情報によると、メダルは不人気だったようだ。
レース直前の気温は19度、最高気温は22度以上になる予報だった。大会パンフレットに例年のレース当日気温が記載されていたが、例年20度前後だった気がする。レース後、銭湯までシングレットで過ごしていたが肌寒さは感じなかった。
ゲストは個人的に全然気にしていなかったが、開会式前、ブロック整列していたら、千葉真子さんが紹介され「大阪国際女子マラソンの解説の人だ」とテンションが上がった。